世界が違う人たちとうまくやる方法を、動物行動学から学ぶ。
ケンカをした相手に対して「アイツの考えていることはおかしい」と思ってみたり、変なタイミングで喋りだす人に対して「空気読めないなーこの人」と思ってみたり、最近のわたしたちは、自分の世界と他人の世界のギャップにとても敏感だと思います。
どうして相手が見ている/感じている世界と自分のそれらとは、違いがあるんだろう?
「動物と人間の世界認識ーイリュージョンなしに世界は見えないー」(日髙敏隆著:ちくま学芸文庫)は、そんな日常のもやもやが少しだけ晴れるような本でした。
人間が見ている世界と動物が見ている世界が違っているということ自体は周知の事実だと思います。
たとえば人間には「紫外線」は物質として目で見る事は出来ませんが、アゲハチョウはそれを見て、感じることが出来ています。本書はそんな、動物の「世界の見え方」にスポットを当てた、動物行動学の本です。
【ネコは絵を本物と認知する?!】
本書ではいくつもの興味深いケースが紹介されていますが、なかでもネコに関する記述が印象的だったので紹介します。
著者の飼い猫に、以下のような実験をしたのです。
(1)陶器で出来た精巧なネコの置物を見せた。
(2)ネコの毛までリアルに再現されたぬいぐるみを与えた。
(3)実物より大きめに、ネコの絵を線画で描いた画用紙を見せた。
普通に考えたら、どれも動かない、鳴かない、ましてや匂いすらしない。にも関わらず、(1)と(3)では本物のネコに対する反応と同一の反応を示したのです。
このことから、ネコには、彼らの世界のルールに則った見え方が存在していることが分かります。
【アゲハチョウとモンシロチョウでも世界は異なる】
また、同じ蝶というくくりの中でも世界の見え方は違う場合があるようです。
例えば、赤という色をモンシロチョウは認識できませんが、アゲハチョウには分かります。
モンシロチョウは赤い花を認識できないので、アゲハチョウは赤い花のぶん、モンシロチョウより多く蜜を吸える場面があるというわけです。
【個々の生物ごとにイリュージョンが存在する】
本書には「イリュージョン」という言葉が頻出しますが、これは簡単に言うと、
その生き物が主体的に見ている世界のこと。わたしたちが生活している紫外線の見えないこの世界が人間にとってのイリュージョンであり、赤い色が認識できない/存在しない世界がモンシロチョウにとってのイリュージョンなのです。
この世には、それぞれの動物の主体が構築している世界があるだけで、動物の種によってそれは様々に異なっています。ひとつとして同じ世界は存在しない、と著者は主張します。
【絶えず変化するイリュージョン】
かつて、地球は平面だという認識がマジョリティだった頃、人間はその認識を疑うことなく生きていました。そして地球が丸いということになったらなったで、その認識のうえでなんら問題なく暮らしています。
人間では世代によってイリュージョンが変わり、人びとは、そのときそのときのイリュージョンに基づく世界を認識し、構築するということである。…(中略)…世代ないし時代なりの移り変わりに伴うイリュージョンの変化の結果として、ある時間ののちにまた同じイリュージョンを持つに至ることもある。(192頁より引用)
地球が丸い/平面だ という認識もまたイリュージョンと言うことができるとなると、時代の流れと共にそれが変化している点もまたおもしろいです。
【客観的な環境は存在しない??】
動物の種によって見えている世界が違い、また同じ種であっても、世代によってそれが変わっていくのなら、絶対に動かない「客観的な環境」なんて存在しません。
人間ひとりひとりを「種」と考えれば、他人から見えている世界が自分のものと違っていたって当然なのです。
ネコが紙に描かれた絵を自分の仲間だと認識することがあるように、自分の理解の枠を超える世界がそこらかしこに溢れているのが普通なのです。
本書の最後には、人間は
何かを探って考えて新しいイリュージョンを得ることを楽しんでいる (195頁)
と記されています。
人間同士の考え方の差異も、イリュージョンの違いとして楽しめるようになれば、日頃の理解出来ない人間関係のストレスもすこし軽くなるような気がします。